竹中英太郎年譜
歴年 | 年 令 | 事 項 | |
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明治39(1906)年 | 0歳 | 12月18日福岡県福岡市上名島町に生まれる。 |
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明治40(1907)年 | 1歳 | 父友吉亡。 | |
大正 2(1913)年 | 7歳 | 福岡市大名小学校入学。 | |
大正 6(1917)年 | 11歳 | 熊本市大江の長島家に移り、大江小学校へ転入。 | |
大正 8(1919)年 | 13歳 | 熊本県立熊本中学校入学。 | |
大正10(1921)年 | 15歳 | 中学校を中退、熊本警察署の給仕となる。 | |
大正11(1922)年 | 16歳 | 警察署を辞め、思想結社七日会に加盟、労働運動、水平運動などに参加。また同じ頃、雑誌の読者投稿募集などに投稿、コマ絵が入選なども見られる。 | |
大正13(1924)年 | 18歳 | 熊本無産同盟結成。熊本初のメーデーを組織する。筑豊炭坑へオルグ要員として潜入するも、その苛酷な労働に次々と仲間が脱落した為に失敗。革命運動には勉学も必要との志しで上京。 | |
大正14(1925)年 | 19歳 | 生活の糧として、協調会刊「人と人」、産業組合刊「家の光」などに挿絵などを描き始める。 |
昭和 2(1927)年 | 21歳 | プラトン社刊「クラク」11月号掲載大下宇陀児『盲地獄』などの挿絵を描く。 |
昭和 3(1928)年 | 22歳 | 「クラク」への挿絵の傍ら、平凡社刊「現代大衆文学全集」の挿絵なども描き、この収入を機に母らを東京に迎えようとするが、「クラク」廃刊などプラトン社の経営が傾いた為、途方に暮れようかという時、白井喬二を通して博文館を紹介してもらう。 「新青年」に江戸川乱歩『陰獣』の挿絵を描き、その作品の評判の高さに、挿絵も注目を浴びるようになる。 以後、博文館専属として「新青年」「文藝倶楽部」「講談雑誌」など博文館刊行の数々の雑誌に挿絵を描くが、「國民新聞」連載の瀬戸英一『白龍殺陣』の挿絵依頼などもあり、専属契約からフリーとなる。 |
昭和 4(1929)年 | 23歳 | 博文館より創刊された「朝日」連載江戸川乱歩『孤島の鬼』を始め、他社雑誌などにも広く挿絵を描き、挿絵画家としての名声を高めていく。 |
昭和 7(1932)年 | 26歳 | 挿絵画家としての生活に煩悶しつつ、直木三十五、吉川英治らと共に五日会に参加するなど社会主義運動ヘの積極的参加を模索。 |
昭和10(1935)年 | 29歳 | 「新青年」掲載の横溝正史
『鬼火』
平凡社刊「名作挿画全集」に江戸川乱歩『陰獣』『大江春泥作品画譜』などの挿絵を最後に、それまでの挿絵画家としての生活と決別。 |
昭和11(1936)年 | 30歳 | 二・二六事件関係者として拘置されるもまもなく釈放。満洲へ発つ。 |
昭和12(1937)年 | 31歳 | 月刊満洲社東京支社長として「月刊満洲日本版」刊行 |
昭和14(1939)年 | 33歳 | 満洲より強制送還に近い形で帰され、東京品川に立会鉄工所を開く。 |
昭和16(1941)年 | 35歳 | 企業整備により工場を閉鎖。所持していた挿絵掲載誌、資料等全てを焼却。 |
昭和17(1942)年 | 36歳 | 母マサ亡。山梨県甲府市へ疎開。 |
昭和19(1944)年 | 38歳 | 山梨日日新聞社に入社。 |
昭和21(1946)年 | 40歳 | 山梨日日新聞社従業員組合結成。書記長となる。「県労協」統一、書記長就任。この後さまざまな労働運動に従事。 |
昭和24(1949)年 | 43歳 | 山梨日日新聞社を退職。社会党山梨県連顧問就任。以後、「民主化相談所」「ブックサービス」「山梨美術孔版社」などの経営や、地方労働委員会会長、山梨県地方家庭裁判所調停委員などを歴任。「情報山梨」など地元誌での評論家業も多い。 |
昭和39(1964)年 | 58歳 | 8月、甲府市湯村の現在地に転居 |
昭和43(1968)年 | 62歳 | 「話の特集」掲載竹中労『週刊誌の害について』のタイトル画として、前年に描かれ未使用のままであった映画『祇園祭』用のカットが使用され、約30年振りに全国誌の誌面に挿絵が飾られることとなる。 |
昭和44(1969)年 | 63歳 | 竹中労製作『日本禁歌集』シリーズのレコードジャケット用の彩色画などを描く。 |
昭和46(1971)年 | 65歳 | 竹中労『エライ人を斬る』装画。以後多くの竹中労著作書籍の装画を描く。 |
昭和47(1972)年 | 66歳 | テレビ山梨「日曜放談」にレギュラーとして出演。
話の特集82 12月、 硬骨の二人-永忠順・竹中英太郎 |
昭和49(1974)年 | 68歳 | マレ-ネ・ディートリッヒ・ショーのためのポスター、プログラム作成。 幻想と怪奇 第2巻第6号・日本作家総特集(歳月社 隔月刊3月発行)、 (竹中英太郎/解説・八木昇) |
昭和53(1978)年 | 72歳 | 八木昇「大衆文芸館 よみもののやかた 興隆期の大衆文芸」(白川書院)
藤川治水「熊本シネマ巷談」(青潮社) |
昭和54(1979)年 | 73歳 | 映画『あかばな心中』ロケハンで沖縄訪問(制作は中止)。 映画『戒厳令の夜』のため南米コロンビアへ旅行。 |
昭和55(1980)年 | 74歳 | 『戒厳令の夜』公開。 藤川治水・園村昌弘脚本による『熊本シネマ巷談―「象牙の塔」秘聞』上演にあたり訪熊。 「名作挿絵全集8 昭和戦前・推理怪奇小説篇」(平凡社) |
昭和56(1981)年 | 75歳 | 4月、「夜想・参」 「断影・竹中英太郎」、10月、「夜想・4」(ペヨトル工房) 「断影・竹中英太郎(続)」(たけなか つとむ著)
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昭和57(1982)年 | 76歳 | 「部落解放研究くまもと1982年第3号」 「竹中英太郎画譜」(藤川治水) |
昭和59(1984)年 | 78歳 | 株式会社中部文教設立社長就任。 |
昭和61(1986)年 | 80歳 | 「別冊太陽絵本名画館/探偵怪奇のモダニズム」(平凡社)刊行。親しい知人に―文を附す。 |
昭和63(1988)年 | 4月8日、虚血性心不全で急逝。(81歳) | |
歴年 | 没 後 | 事 項 |
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平成 1(1989)年 |
3月23日~25日、甲府・八百竹ギャラリーにて竹中労の監修による回顧展が開催された。
4月1日~6月28日・「竹中英太郎・懐古展」 弥生美術館、 3月29日 朝日新聞記事「戦慄の異空間を再び」 9月、「幻想文学 27」(幻想文学出版局) 「エログロナンセンスと新青年-竹中英太郎誕生の背景をめぐって」(高橋康雄) |
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平成 2(1990)年 |
1月25日、「夢よなぜ踊る」(NHK放映) 2月20日~27日・「竹中英太郎回顧展」 熊本パルコ・ルナホール 8月・百怪、我ガ腸ニ入ル 竹中英太郎作品譜、 内容紹介/竹中労編集(三一書房) 内容紹介の拡大 |
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平成 4(1992)年 |
11月、「鳩よ!11月号」(マガジンハウス) 特集 夢野久作「夢野パノラマを飾った二人の画家」/竹中英太郎の部に「百怪、我ガ腸ニ入ル」から竹中労の「残雪、竹中英太郎逝く」を部分転載
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平成 5(1993)年 |
4月6日~6月20日・「竹中英太郎展 蝶なて飛ばわ」 白根桃源美術館
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平成 6(1994)年 |
1月3日・読売新聞西部本社版1面トップ記事、竹中英太郎の戦後作品 47点、古里・福岡市へ 遺族が寄託意向~【このお話は実現しませんでした】 社会面記事、偶然の出会い「博多へ」「久作と寄り添い」“発見”田部さん強烈な印象 |
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平成 7(1995)年 | 9月8日・西日本新聞文化面「昭和の尋ね人(8)」、竹中英太郎 「自らにだけは恥じなく眠りたい」 差別ない理想社会夢見て 絵捨て革命に走った挿絵画家 | |
平成 8(1996)年 |
11月17日~24日・「青梅宿アートFes'96」想い出さがしの青梅宿にて「乱歩作品異形の挿し絵画家 竹中英太郎展」(乱歩の部屋にて併設)
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平成11(1999)年 |
「昭和の尋ね人―アウトサイダー列伝」(西日本新聞文化部編・不知火書房)、「竹中英太郎 自らにだけは恥じなく 絵筆を断って革命に走った挿絵画家」(pp.47-51)
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平成16(2004)年 |
4月8日、「おもいっきりテレビ-今日は何の日」(日本テレビ) 「挿絵画家 竹中英太郎が亡くなった日」 4月10日・湯村の杜竹中英太郎記念館が開館 12月号~平成17(2005)年2月号「望星」(発行・東海教育研究所)「妖美と反逆~竹中英太郎の謎を追う(上・中・下)」(鈴木義昭) |
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平成17(2005)年 | ||
平成18(2006)年 |
6月~平成19(2007)年10月連載、「桜座スクエア」(甲府・桜座) 「生誕百年記念 竹中英太郎とその時代」(村上裕徳)
9月15日・生誕百年記念画集 「竹中英太郎」/金子紫 編 9月15日~12月25日・生誕百年記念特別展 前期 「妖美と幻想の挿絵展」 湯村の杜竹中英太郎記念館 9月30日~12月24日・生誕百年記念 「竹中英太郎と妖しの挿し絵展」 弥生美術館 11月、「夢を吐く絵師 竹中英太郎」(鈴木義昭) 「彷書月刊」12月号、特集 「途をいずれに 生誕百年竹中英太郎」 |
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平成19(2007)年 |
1月5日~4月8日・生誕百年記念特別展 後期 「英太郎と労 絆展」 湯村の杜竹中英太郎記念館 2月27日、英太郎夫人津ね子亡、(98歳) 6月、「ブンブン堂のグレちゃん」(グレゴリ青山著・イーストプレス刊) 「竹中英太郎記念館 招く道化師」(pp.46-53) 10月~平成20(2008)年10月、「がいこつ亭」(隔月刊)(がいこつ亭) 「竹中英太郎論」(中村恵一) |
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平成20(2008)年 | ||
平成21(2009)年 |
3月、「本の手帳」第6号(本の手帳社発行)「挿絵画家竹中英太郎のデビューの頃」(中村恵一)
3月、「戦前期中国東北部刊行日本語資料の書誌的研究」報告書(京都ノートルダム女子大学人間文学部 岡村敬二教授)で「『月刊満洲』と竹中英太郎」が取り上げられました
4月10日、開館5周年を迎え、この年譜を公開いたしました
7月、月刊flowers9月号(小学館・毎月28日発行)で
「マダムGの館 第23幕」(pp.367-371)
9月12日~27日、「やまなしの美術館大全展」に出品いたしました。
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平成25(2013)年 |
3月30日 河出書房新社より「魔性の女挿絵集」が出版され竹中英太郎の挿絵も13点が掲載されております。
4月11日~7月15日 「竹中英太郎・労 父子展」開催 湯村の杜竹中英太郎記念館 6月15日~6月30日 「やまなし美術館大全・水をめぐる旅」に出品いたしました。 山梨県立美術館 |
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平成26(2014)年 |
9月11日~12月1日 開館10周年記念企画 「竹中英太郎への旅・グレゴリ青山展」開催 湯村の杜竹中英太郎記念館 |
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平成27(2015)年 |
7月8日、横溝正史著、挿絵・竹中英太郎 「鬼火・オリジナル完全復刻版」が藍峯舎により刊行・発売されました。 |
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平成28(2016)年 |
5月24日、 「挿絵叢書・竹中英太郎(一)怪奇」が(株)皓星社により刊行・発売されました。
館長日記
7月30日、 「挿絵叢書・竹中英太郎(二)推理」が(株)皓星社により刊行・発売されました。 館長日記 10月15日、「竹中労 没後25年 今ふたたび」 イヴェントを甲府市の桜座で開催いたしました。 11月1日、 「挿絵叢書・竹中英太郎(三)エロ・グロ・ナンセンス」が(株)皓星社により刊行・発売されました。 館長日記 |
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平成30(2018)年 |
2月17日、江戸川亂步著、挿絵・竹中英太郎 「完本 陰獣」が藍峯舎により刊行・発売されました。
館長日記
3月13日~6月3日、山梨県立文学館 平成30年春の常設展で 「竹中英太郎と竹中労」展示コーナー が設置されました。館長日記 4月8日、竹中英太郎 没後30年 「竹中英太郎と労を偲ぶトークのつどい」 山梨県立文学館講堂にて開催いたしました。 |
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令和元(2019)年 | 9月30日、河出書房新社より平成25(2013)年3月30日出版の「魔性の女挿絵集」の新装版が出版されました。 |