兄・竹中労没後25年に伝えたい言葉・・・・・
5月19日、今日は亡き竹中労の祥月命日です。
あの日から早くも25年の歳月が流れてしまいました。
病魔に勝つことも出来ず、家族が誰一人看取る事も許されず、この世を去りました。 亡くなる数か月前から、闘病中の労さんに面会出来ましたのは、家族でただ一人私だけでした。異母兄妹の労さんと私、初めて本当に色々な事を語り合いました。
何回かの面会で、労さんが突然、「良い妹に巡り会えて幸せだった」と、病床で私に言ってくれた言葉は忘れられません。
一瞬耳を疑いました・・・まさか労さんからこのような言葉を聞くなどと夢にも思っておりませんでしたから・・・。驚きが先で何も言う事は出来ませんでした。
労さん亡きあと、「あの言葉」を思い出しては、異母兄妹であっても労さんの心の中に、“真の妹として私を思っていてくれたのだ“という嬉しさをがこみ上げ、涙しております。
没後25年を迎えた祥月命日の今日、あの時に言えなかった言葉を伝えたいと思います。
「“良い妹に、、、、、、、、、、”そのように思っていてくれて本当にありがとう!とむ兄ちゃん!」・・・と。(私は労さんの事を”とむ兄ちゃん”と呼んでおりました。)
その兄が誰よりも愛し尊敬しておりました父・英太郎の作品を私に託してくれました。今、私は、「竹中英太郎記念館」の館長として、父や兄の作品に囲まれ、生きる張り合いと亡き家族との思い出に浸りながら、沢山の皆様にお支え頂き、大切な記念館での日々の生活を過ごさせていただいております。
幸せな人生を歩ませていただいておりますのも兄のお蔭だと思っております。
兄が抱いた父への熱い思いと共に、兄からの最後の言葉を励みに頑張ってまいります。
永遠に竹中労のフアンでいて下さいます皆様、どうぞ私と共に労さんの事をいつまでも忘れないでいてあげて下さい。
良きにつけ悪しきにつけ<竹中労は素晴らしい人>だったと誇らしく思っております。
※※※
没後25年にあたり10月15日(土)、労さんを偲ぶイヴェントを甲府で開催予定です。
詳細が決まりましたらご案内させていただきたいと思います。
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昨日一日早くお墓参りに行って参りました。
お墓には、労さんの大好きなおビールがお供えしてありました。
5月5日(←クリックされてご覧下さい。)にご来館下さいました、横浜の黒川様ではと思います。ありがとうございました。
*:.。..。.:*・*:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**
今日の山梨日日新聞・「きょうの歴史」欄に掲載されました。

masa様がご来館下さいました。
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Y.T様が、労さんの大好きなおビールをお持ちくださいました。
仏壇へお供えさせていただきました。
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あの日から早くも25年の歳月が流れてしまいました。
病魔に勝つことも出来ず、家族が誰一人看取る事も許されず、この世を去りました。 亡くなる数か月前から、闘病中の労さんに面会出来ましたのは、家族でただ一人私だけでした。異母兄妹の労さんと私、初めて本当に色々な事を語り合いました。
何回かの面会で、労さんが突然、「良い妹に巡り会えて幸せだった」と、病床で私に言ってくれた言葉は忘れられません。
一瞬耳を疑いました・・・まさか労さんからこのような言葉を聞くなどと夢にも思っておりませんでしたから・・・。驚きが先で何も言う事は出来ませんでした。
労さん亡きあと、「あの言葉」を思い出しては、異母兄妹であっても労さんの心の中に、“真の妹として私を思っていてくれたのだ“という嬉しさをがこみ上げ、涙しております。
没後25年を迎えた祥月命日の今日、あの時に言えなかった言葉を伝えたいと思います。
「“良い妹に、、、、、、、、、、”そのように思っていてくれて本当にありがとう!とむ兄ちゃん!」・・・と。(私は労さんの事を”とむ兄ちゃん”と呼んでおりました。)

幸せな人生を歩ませていただいておりますのも兄のお蔭だと思っております。
兄が抱いた父への熱い思いと共に、兄からの最後の言葉を励みに頑張ってまいります。
永遠に竹中労のフアンでいて下さいます皆様、どうぞ私と共に労さんの事をいつまでも忘れないでいてあげて下さい。
良きにつけ悪しきにつけ<竹中労は素晴らしい人>だったと誇らしく思っております。
※※※
没後25年にあたり10月15日(土)、労さんを偲ぶイヴェントを甲府で開催予定です。
詳細が決まりましたらご案内させていただきたいと思います。
*:.。..。.:*・*:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**
昨日一日早くお墓参りに行って参りました。
お墓には、労さんの大好きなおビールがお供えしてありました。
5月5日(←クリックされてご覧下さい。)にご来館下さいました、横浜の黒川様ではと思います。ありがとうございました。
今日の山梨日日新聞・「きょうの歴史」欄に掲載されました。
masa様がご来館下さいました。

Y.T様が、労さんの大好きなおビールをお持ちくださいました。
仏壇へお供えさせていただきました。


日記 | comments (2) | -
コメント
遥か宇宙から、皐月の日本を見下ろしていらっしゃるでしょうか?
まだまだ、やり残した事が山程あったのではないかと・・・無念だったのではないかと・・・。 惜しまれます。
何んと素敵な写真が残されていたのでしょう!
館長が呼ばれる“とむ兄ちゃん”のお声が蘇えってまいります。「とむ兄ちゃんがね・・・、とむ兄ちゃんはね・・・」何度となく耳にしてきた呼び名です! 私の幼い記憶の中にも、館長一人が“とむ兄ちゃんの味方”だったような、そのような思い出もありました。
やはり、心が通じていたのかもしれませんね。
「きょうの歴史」の中に刻まれておりますように、日本の誰もが「竹中労」氏の絶対的な価値観を忘れないでほしいと思います。
館長と共に!!
没後25年にあたり10月15日(土)<労さんを偲ぶイヴェント> 楽しみで〜〜す。
これから、お夕飯です。では、GOOD LUCK
労さん祥月命日に沢山の皆様から労さんの為に偲んで下さいました。
とむ兄ちゃんもきっとあちらで感謝している事と思います。
25周年の節目に、労さんに気持ちを伝えることが出来良かったと思っております。
今日も爽やかであつい一日になりました。
爽やかにお過ごし下さいませ。
ごきげんよう!